BELLRING少女ハートを未見のアイドルファンや音楽ファンに届けたいベルハーに思うあれこれ。

2016/12/05 16:23編集後記 ベルハー 

やまー。

BELLRING少女ハートから朝倉みずほと柳沢あやのが脱退しかも年内をもって活動休止、という「はへっ!?!?」としか言いようがないニュースが飛び込んできた2016年10月の某日。

ここ最近のアイドルシーンを見ていれば、いつどこで何が起きてもおかしくないという心の準備はうっすらとですが常にしていたつもりだったのですが、それでもこのニュースには驚かざるを得ませんでした。

だって。だってですよ。【ガチ恋!】ではその少し前にカイちゃんの単独取材をしたばかりだったし、取材のときには気配は全くなかった訳ですし...。

とは言え、決まってしまったことは決まってしまったこと。現行体制のベルハーは2016年12月31日をもって終了、グループは一時活動休止となり、朝倉みずほは引退、柳沢あやのはソロへと転身していくことになります。

現BELLRING少女ハートに残されたあと1ヶ月弱の活動期間。とりわけ12月22日(木)に控えている赤坂ブリッツでのワンマンライブをなんとか成功させるべく先行するヲタちゃん(←ベルハーファンの総称)の檄ブログにならって、若輩ながら僕もベルハーのどこがすごいのか、何にこんなにも狂わされてしまっているのかを書き綴ってみようと思います。

心を震わされているのは、"暴れる"ヲタちゃんたちだけじゃない

僕から見たベルハーの歴史語りから入ろうと思ったんですが、まず最初にどうしても書いておきたいと思ったのがこれです。

ベルハーと言うとライブで暴れるファンとその結果として時折起こるイベント主催者とのトラブル...みたいなことがネット上で取り沙汰され「ベルハーのライブは怖い。荒れる。」みたいなことを言われたりしますが、ベルハーのライブが本当に怖いのか?荒れているのか?と言うと...否!それは断じて否!なのです。

たしかにフロアの中央以前のヲタちゃんたちはリフトにサーフにモッシュにと毎回大騒ぎです。そんな姿を見ながら「今日も荒ぶってるなぁ」と思ったり、最前の柵前で撮影している時などはいつ後ろから降ってくるとも限らない人影を気にしながらカメラを構えていたりしますが、フロアにいる全ての人がそんな状態かというと実際はそうではありません。盛り上がっているヲタちゃんたちを遠巻きにしながらベルハーのライブを見ている人たちも結構いるんです。

僕も仕事柄、会場の奥や脇からライブを見ることが多いので、同じように遠巻きに見ている人たちを見ていると、曲に合わせてリズムを取ったり、メンバーと一緒に歌っていたり、たまたま居合わせちゃったのではないベルハーを見に来たヲタちゃんたちがライブを楽しんでいますし、僕も毎回大感動しながらベルハーのライブを一歩引いた場所から見ています。

なのでもし「怖いから」とか「荒れるから」という理由でベルハーのライブを避けている人がいたとしたらそれは間違った先入観だと思います。ベルハーのライブは全てのファンが激しく盛り上がってる訳ではないし、それを強要される現場でもありません。総じてヲタちゃんたちはフレンドリーで面白い人たちばかり。ただ、ライブとなるとちょっと狂っちゃう人が"少々"いるくらいで、ベルハーのライブは、黙って見ていても、人の間でもみくちゃにされなくても、十分楽しめる現場であるというのはまず最初に理解してもらいたいと思っています。

でも、最初はどっちかというと"嫌い"でした

この際、忌憚なく書いてしまおうと思うのですが、正直に言って初めて見たころのベルハーについては何とも思っていませんでした。というか自分の中の"どちらかと言えば嫌いボックス"に入っていた気がします。

正確な時期は覚えていませんが、ベルハーを初めて見たのは2012年の終わりか2013年の初めのころ。TIRAさんの帰国やアルバム「Bedhead」のリリースの情報は普通に知ってたのでたぶん初見は2013年の初めじゃないかと思います。

当時はまだアイドル戦国時代の始まりの方で、今ほどシーンとして成熟も洗練もしていませんでしたが、かつてのアイドルの価値観やあり方がどんどん壊れて新しい形が生まれ始めていたとてもホットな時代でした。

ベルハーもそんなアイドルの中の一組という認識で、ライブを見ることもあったのですが、その時はどうにも好きになれませんでした。メンバーの立ち居振る舞いやライブを見るヲタちゃんたちの激しさは基本的には今と変わらないのですが、今なら理解できるベルハー特有の"ゆるさ"が当時は"不真面目な態度"に見えてしまってたんですね。

メンバーも今よりはるかに若くて子供にしか見えなかったし歌も踊りも適当、いわゆる"ほつれ"を集約させたグループ、ファンもそれが好きでただ単に"荒れたい人"、"湧きたい人"が集まっているんだなという印象を持っていました。

実際に、本当に不真面目だったのかどうかは分からないし、もしかしたら今のベルハーに対してそれと近い印象を持っている人もいるかもしれません。なので、そのこと自体はそんなにおかしいことじゃない...というか同じことを思っている人は他にもいる、ということも分かってもらえたらと思います。

ベルハーってすごくないか!?と手の平を返した新宿MARZでのライブと「アイスクリーム」

そんなベルハーに対する見方や考えが大きく変わったのは2014年の春ごろです。たまたま見に行ったイベントに出演していた新宿MARZでのライブがそのきっかけでした(そこまで気づかなかったなんて本当にクソ野郎だと思います)。

最初はたぶんそれまでと同じく"どちらかと言えば嫌い"なスタンスでライブを見ていたと思います。それがいつのまにかステージに釘付けになっている自分に気づきました。当日のセトリがどうだったかは覚えていないですが「何かすごいことが目の前で起きている」という想いが頭を駆け巡り、中でもその時に見た「アイスクリーム」が強烈に突き刺さりました。

おどろおどろしいイントロに合わせてゆらゆらと揺れるベルハー。「その手はどこがどうなってるの?」と混乱しそうになったサビでのマイクポジション。様式美すら感じさせるほどに彼方に放たれたままピタリと止まった身体と腕、そして指先。そしてその静寂を打ち破るかのように激しく狂い出すサウンドとメンバーのダンス。

物語的な展開を持たせ、静と動と鬱と狂といったステージならではのダイナミズムと感情表現で観者の感情を揺さぶるパフォーマンスをたった5分ほどの曲と歌と踊りで表現し切った「アイスクリーム」。芸術と言ってはおおげさかもしれませんが、それはまるで映画や演劇を見ているようで"アイドル"を超越した"何か"をベルハーに見たのはこの「アイスクリーム」が初めてでした。

本当に圧倒されました。「ベルハーすごくないか!?」とこの日を境にベルハーガン推しに180度態度を改めたMARZと「アイスクリーム」でした。


(注)↑このライブは僕が見たその「アイスクリーム」ではありません。

ベルハーは"歌がヘタ"、"踊りが学芸会レベル"という評価に対するアンチテーゼ

ベルハーは"ライブが荒れる"という評価の他に、歌と踊りの拙さやレベルの低さについてもよく言われることがあります。分かりやすく言うと"ヘタ"ってことです。

僕もベルハーに対して一番最初に持った印象は「うわっ!これマジか!?」という歌と踊りのヘタさでした。そして音源を聴いてもそれが同じクオリティだったので「これがアリなの...?」と衝撃を受けた記憶があります。

その後、「あれは(ベルハープロデューサーの)田中さんがわざとやっている」という話を聞いたりもしたので理解はしつつも納得はできないままで「そういうもんなのかなぁ...?」と判断を保留していたのですが、ベルハーのことが好きになった後のある日のライブを見た時にベルハーの歌が音源とライブでの歌がほとんど変わらないことが妙に気になり始めたんです。

で、改めてその辺りを注意しながら音源を聴き、ライブを見るようにしたんですが、ベルハーは実はライブでの"音源再現度"という点はかなりレベルが高いグループなんです。
よく補正されまくりなボーカルで収録されたCDを聴いて、それなりの期待でライブを見に行ったら「これなら被せか口パクの方がいいんじゃ...」とがっかりすることがたまにあるのですが、ベルハーに関してはそういうがっかりをほとんど感じたことがありません。

地声の歌をそのまま録音してるからそれ以外出ようがないという話もありますが、それとは別に"本当に歌がヘタなのか?"ということについても、先日twitterに上がっていたカイちゃんと二丁ハロのぺいにゃむさんが歌っていた「かもめが跳んだ日」を見ると、「あれ?本当は歌うまいんじゃない?ってか普通に歌えるんじゃん!!」とびっくりしました。また、ベルハーとしてのライブでもあの不思議MAXなキャラに隠されて目立ちませんが最近のカイちゃんは歌ウマな片鱗を見せつつあったりします。

また、踊りに関しても(僕の知っている限りで)ベルハーほど複雑なフォーメーションダンスするアイドルグループは見たことがありません。
ただなんとなく眺めているとと気ままに飛んだり跳ねたりしているだけの様ですが、よーく見ると曲中の流れの中で何度も何度も複雑なポジションチェンジを繰り返しているのが分かります。

ベルハーのライブは当日にセトリが決まったり、セトリなし即興でライブをやることがあると聞いたことがあります。その状態であれだけ複雑なフォーメーションダンスができるってどれだけ練習してるんだ!?と。しかもそれを見ている側に感じさせない自然さってどんだけの完成度なの!?と思ってしまう。

しかもベルハーはメンバーの入れ替わりがかなり激しいグループです。また以前はライブごとに出演するメンバーの数が変わることも少なくなかったグループでした。そんな中でもベルハーのライブでメンバー同士がぶつかったり、明らかに分かる動きや振りの間違いというのはあまり見たことがありません。

メンバーチェンジがあった新体制のお披露目ライブでもステージに立つベルハーはいつもと変わらないいつものベルハーでしたし、そんな姿を見るたびに「ベルハーはこの先も大丈夫かもしれない」と思っていました。

その眼差しの先にあるものは?

ベルハーのライブを見ていると、いたたまれない気持ちになる瞬間が毎回あります。ライブに関して言うとハッピーな気持ちのままで終わったことはほとんどアリません。不安や怒り、焦燥や鬱屈とした感情が塊のまま放り投げられて、こっちが処理しきれないまま目の前ではライブが続いていく...みたいな瞬間が必ずやってきます。

なんでベルハーのライブはこんな気持ちになるんだろう?他のアイドルのライブでは受けることのないこの感傷の理由はどこにあるんだろう?
その理由の一つがメンバーたちのライブ中に浮かべる"表情"だと思っています。

分かりやすい例で言うと「low tide」での落ちサビのみずほちゃん。「ライスとチューニング」でゆるまりまくりのみずほちゃんが「low tide」ではなんであんなに切迫した訴えかけるように歌うのか。
「rainy dance」でほんの数秒前まで普通に歌っていたあーやんはなんでその直後あんなに辛そうな顔で、目に涙を浮かべながら歌っているのか。
2016年1月に開催されたワンマンライブ「Q」の最後に見た甘楽さんがひと目をはばからず大号泣していたあの涙は一体誰に向けたものなのか。

そういった表情は他のアイドルのライブでも目にするのですが、ベルハーの場合そこに何らかの"痛み"が予め刷り込まれているような気がするんです。その"痛み"にこちらの感情が反応しているのかな?と。

さらに付け加えるならそうしたメンバーたちのハッとするような表情は、目の前にいるヲタちゃんたちというよりは、そこにはない何処か、何か、誰かに向けられているように見えるのです。

その度にステージとこちら側にある交わることのない隔たりのようなものを感じたりして、
前述した「ベルハーのライブは観劇しているような気分になる」という感覚はこういう理由もあるのかな?と思ったりしています。

「UNDO THE UNION」「BEYOND」アイドル戦国時代が生んだ2つの名盤過ぎる名盤

「ゆるい」「なんでもアリ」「だけど曲だけはあり得んカッコいい」。
これが僕なりのアイドル戦国時代(特に地下)の定義なのですが、ベルハーほどアイドル戦国時代創世記のカオスを残しつつ手垢もつけずに高みを極めたグループはいないのではないでしょうか。

その3要素の中にある「だけど曲だけはあり得んカッコいい」を決定づけたのが、2014年12月にリリースされたベルハーのアルバム「UNDO THE UNION」、そしてその一年後にリリースされた「BEYOND」でした。それぞれの年においてアイドルの年度代表アルバムを挙げるとしたらこの2作品はぶっちぎりのグランプリだったと思います。

「UNDO THE UNION」は、オリジナルメンバーの仲野珠梨、美月柚香の脱退発表がされた後にリリースされたアルバムだったので「Starlight Sorrow」「UNDO」に代表されるエモーションが前面に出たアルバムという印象です。それに加えて「rainy dance」「c.a.n.d.y.」「get rid of the Chopper」「男の子、女の子」「Crimson Hrizon」といったシングルやライブでの定番曲を入れられるだけ入れ込んで、さらに撮り下ろし曲も満載、結果収録曲は17曲(約71分)というCDの限界に挑むような長尺アルバムになったのですが、その当時のBELLRING少女ハートを余すところなく全て出し切ったタイトルに思えました。

普通、60分を超えるアルバムを通しで聴くのはなかなかタフな作業なのですが、それでも何回リピートしたことか。中でも「UNDO」の歌詞とメロのエモーショナルWパンチには、その年の最優秀楽曲をあげたいぐらいでしたが、リリースが12月ということもあって「アイドル楽曲大賞」「CDショップ大賞」などのような外部評価を受けるのにはリードタイムが短すぎるのがすごくもどかしかった。

そしてその約一年後の2016年の2月にリリースされた「BEYOND」は、「UNDO THE UNION」をさらに凌ぐ名盤でした。77分超と前作をしのぐ長尺に16曲を収録されたこのアルバム、先行でシングルカットされた「asthma」と過去の未音源楽曲を収録した「Cherry」以外の14曲は全て新録曲。「ホーネット'98」「憂鬱のグロリ」「ちゃっぴー」「或いはドライブミュージック」のようにリリース後のライブでのキラーチューンとなる曲も数多く収録され、ベルハーのライブをそれまで以上に強化させ、ベルハーをさらに進化させたアルバムという感じでした。

そして何より「asthma」です。アイドル楽曲が数多ある中でこの曲以上に"アンセム"という言葉が似合う曲はおそらくないでしょう。ある意味アイドル楽曲の歴史を飾る"アンセム"と言えるかもしれません。

イントロを聴いた瞬間から分かる"なんかすごいの始まった!"という有無を言わせない説得力。通常、楽曲評において"聴けば分かる"という言葉はタブーだったりするのですが、この曲ばかりは聴いてしまうのが一番早い。そして落ちサビでのヲタちゃんから湧き上がるシンガロング。音源上でも「おーおーおーおー」という声が入っていますが、あの声を聴く度に毎回カタルシスを感じてるのはたぶん僕だけじゃないと思います。

実際、「asthma」がなくてもベルハーの楽曲は最高だったんです。これまでリリースしてきた楽曲だけでも十分に"TOP OF TOPS"なアイドルグループだったのですが、その次元を遥かに越えてくる「asthma」が生まれたことには「この曲に出会わせてくれてありがとう」と感謝したいぐらいです。

ライター泣かせなベルハー?「どう説明していいのか分かりません、田中さん」

BELLRING少女ハートは、僕がこれまで見てきたアイドルの中で最高峰を極めたグループの一つだと思っているのですが、それと同時にベルハーほど「ベルハーとは?」や「ベルハーの良さ」について説明をするのが難しいグループもいませんでした。だいたいのアイドルグループにも、一言じゃなくてもそのグループを象徴するような単語がいくつか頭に浮かんできたりするものなのです。"破天荒"、"アキバ"、"エモい"、"かっこいい"、"かわいい"、"◯◯系"とか。

ベルハーに関しても断片的にはそういった言葉が当てはまることもあるのですが、ベルハーが厄介だったのは、ある言葉でベルハーを語ろうとすると、それをすぐさま完全否定するような活動やライブパフォーマンスをすることが結構多かったんです。

以前、電撃ネットワークのギュウゾウさんがベルハーのことを"最凶"と喩えたことがありました。ああ、なるほど、と。とても分かりやすい言葉だな、と思ったのですが、ただ「夏のアッチェレランド」や「bedhead」を歌うベルハーからは"凶"な要素は微塵も感じられません。また前述の通り、学芸会以下と言われているライブでのパフォーマンスも視点を少し変えれば非常にハイレベルな一面も兼ね備えていたり、歌も本当は上手いのか下手なのかが分からなかったり...。

なのでベルハーはライブを見ても曲を聴いても評し方が本当に難しかった。いいのは間違いないんだけど、ある一つの魅力について語ることが、逆にある別のベルハーの魅力を否定することになってしまうような気がして、初めて田中さんと打ち合わせさせてもらった時に最初に伝えたのは「ベルハーをどう説明していいか分からないんですけど...」という言葉でした。

例えば、最強の武器同士を全力でぶつけ合って±0にしてしまうとか、強酸性と強アルカリ性が融合させて強引に中性状態を作ってしまうとか...そういうことなのかな?と。
打ち消し合いが激しすぎるので結果何も起きていないように見えるけれど、実際はものすごいことが起きてるんですよ、と。それが今のところのBELLRING少女ハートというグループに対する一つの答えになっています。

ベルハーを見て欲しい、聴いて欲しい、そして体験して欲しい。そして12月22日は赤坂ブリッツへ

...と、僕なりにベルハーについて書かせてもらいました。抜けや漏れ、思い込みやツッコミどころが満載な内容かと思いますが、長文にお付き合いいただき本当にありがとうございます。

今回、こんな長文ブログを書こうと思ったのは吉田豪さんとベルハーのトークイベントでみずほちゃんが涙ながらに語った「人がいっぱいがいい」という12月22日の赤坂ブリッツワンマンへ想いをなんとか実現できないか?と思ったから。そしてバズネタに偏りがちなベルハーのことをもっと色んな角度から見ることができないか?と思ったからでした。

その結果、こんなバラバラと統一のないトピックを並べた記事になってしまいましたが、それだけベルハーには複雑で様々な魅力がごった混ぜになっているといことかな?と思ったりもします。

もし、このブログを見て「あー、そうそう」と思ってもらえたり、「一回ぐらいベルハー見てみようかな?」と思ってもらえたりしたらとても嬉しいです。

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