二丁目の魁カミングアウト

二丁目の魁カミングアウト インタビュー

ゲイアイドル・二丁目の魁カミングアウトのインタビューです。[画像:5枚]

”今、一番アイドルっぽいアイドルは誰か?”と聞かれたらまずは名前を挙げておきたい二丁目の魁カミングアウト(ex. 二丁ハロ)。「ゲイでもアイドルになれる」をコンセプトに6年前に活動をスタートさせた二丁ハロ(当時)は、苦節と変遷を乗り越えて2017年5月1日に開催された渋谷WWWでのワンマンライブ「二丁ハロ FINAL LIVE × 二丁魁 FIRST LIVE」を見事にソールドアウト。涙と笑いと大声援に包まれたライブを経て、二丁ハロは”研修期間”を終え、グループ名も二丁目の魁カミングアウトに改名。活動を本格化させる第一歩を踏み出した。そんな二丁魁(にちょがけ)のメンバー、ミキティー本物、ぺいにゃむにゃむ、きまるモッコリ、白鳥白鳥(しらとりはくちょう)の4人に話を聞き、二丁魁のこれまでとこれから、そしてアイドルへの真摯な思いと自らが追い求める理想のアイドル像を語ってもらった。

オリジナルメンバー・ミキティー本物が語る”二丁ハロ研修期間の6年”

二丁ハロさんのライブを初めて見た頃なんですが、当時はショーパブ?のステージがそのまま出てきたような印象があって、あまりピンと来ていなかったんですが、2016年の宇都宮のギュウ農フェスでのライブを見たらものすごく変わってて。

ミキティー本物(以下、ミキティー) えー、嬉しい。

なんでこんなにかっこよくなったんだろう?何が変わったんだろう?と思ってたんですが、何かきっかけやタイミングがあったんでしょうか?

ミキティー 元々、私たちはアップアップガールズ(仮)とのテレビの企画で、その時に一回テレビ番組に出るために作ったユニットだったんですけど、そのステージに立ってみて”ちゃんとやってみようかな?”と思ったところから始まったんですよ。それで、"ゲイでもアイドルになれる"ってコンセプトでゲイアイドルを作っていこうっていうのがあったんですけど、当時ゲイで売れてる人ってマツコさんのコラムニストとか、KABA.ちゃんの振り付けとか、肩書きがあって初めて成立してるなって思ったんですよ。でも、私たちは何もなかったんで、私は最初にBiSに振付師ってウソをついて…

あれ、ウソだったんですか?(笑)

ミキティー やったことないんだけど"振付師です。いつかお願いします"って声をかけて、メジャーデビューの時にカップリングの振り付けをやらせてもらったんです。そこからやっと肩書きみたいなものがついてきたんですけど、最初は肩書きやBiSを使って知名度を広げていくことに必死で、ゲイアイドルとして自分が何を歌いたいとか、どういうものを歌ったら周りに響くかとかが全く分からない状態で、そういう中で曲を作って歌ったりするのがすごく嫌で。だからその時は自分たちが好きなハロプロとかをコピーしてゲイアイドルを作ったんです。一応その間を"研修期間"って呼んでたんですけど、その期間に基礎的なダンスとかステージに立つパフォーマンスを学びながら自分たちのやりたいことを探してました。それがBiSが解散とともに次は歌を歌うことにしたんですけど、まだ自分たちが何を歌ったらいいのか?っていうのが見えてなかったんでBiSの解散と同時に振り付けやらせてもらった縁もあるので「nerve」を歌わせてもらいました。その後、アイドルイベントに出させてもらうきっかけになったのがBiSが解散した年の@JAMの「出れんの!?@JAM!?」ってオーディション企画で、そこから色んなイベントから声がかかったりする内に徐々に自分たちの歌いたい曲とかやりたいパフォーマンスとか、逆にやりたくないこととかも見えてきて。やっぱり他人の曲とかで盛り上がっても、それこそ二丁目でやってるショーを持ってきたステージでしかなくて。オカマ口調でハチャメチャに盛り上げて…っていうステージを作ってパーッと去っていった時に徐々に悔しさみたいなものが出てきたんですよ。

僕も昔は二丁ハロさんをイロモノみたいに見てたところはありました。

ミキティー イロモノはイロモノでもよかったんですけど、そこに自分の芯となるものが出せてないのが悔しくて。そういう経験をしていく中で自分のやりたい曲とか歌いたい音楽性がやっと見えてきたのがちょうど2年前ぐらい。そこから自分が曲を書いて欲しいなって人にお願いしたり、自分で歌詞を書いてみようと思ったり。その頃もBiSの曲も歌わせてもらってたんですけど、去年の後半ぐらいからカバー曲をやらなくなったんです。でも、今も「nerve」には感謝してて。あの曲があったからステージに立てて、自分たちのやりたいことが見つかったんで。悔しい思いもしたけどすごく大事な期間ですね。

そこまで来る6年ぐらいの間にはメンバーの変遷もありましたが、一番辛かった時期はいつ頃だったんでしょう?

ミキティー 辛かった時期だらけですけど、そもそも最初に組んだ5人のほとんどががっつりアイドル活動をしていくってことを望んでなかったというか。私がやってみせるって言っても誰も"そんなの無理でしょ”って言う子やゲイアイドルって言ってるにも関わらず人前に立つのが苦手なメンバーが多かったんです。ただ、私も"じゃあ、サヨナラ"っていうタイプじゃないんで、そのバランスを取りながら活動してくるのが一番大変だったかも。

ただ、その百恵さんは今も楽曲制作の部分で関わっていますよね。

ミキティー 百恵ちゃんは最初から長くアイドルをやっていきたいタイプではなかったんですけど、二丁ハロのこともメンバーのことも大好きで仲も良かったんですよ。だから辞めるのを決めた時に今までやってきたことが全部なくなって生きていくのは無理って思ったみたいで。私たちに内緒で曲を作る勉強をしていて…。

そうなんですね。

ミキティー 昔学校に行ってたらしいんですけどもう一回独学で勉強し直して、辞める話をされた時に"曲作ったから"って渡されたのが「青春は何度でもやり直せるなんて嘘だ」なんです。何もなくなってしまうのは嫌だから、関わっていきたいから曲を作る勉強をしたって…それは本当に嬉しかった。それまでは私もずっと引き止めてたんですけど曲を渡された時には一切引き止めなかった。それぐらいの熱意というか、辞めたい気持ちと関わっていきたいって気持ちがその曲にすごく込められてる気がして。

サクライケンタさんや色んな方が曲を書かれてるんですが、二丁ハロさんのオリジナル楽曲というと百恵さんの曲の印象が強いですよね。

ミキティー やっぱり私たちのことや方向性も分かって書いてくれるからドンピシャな曲がくるんですよね。ワンマンで発表した「まるもうけ」って曲とかも"一曲目に披露する曲が欲しい"って言ったら今までと全然違う明るい系統の曲を書いてくれたんですけど、そういうのもウチらのことを知ってるからピッタリの曲を書いてきてくれますね。

二丁目の魁カミングアウト ライブ情報

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