きのホ。3rdフルアルバム「都スカイハイ」をリリース!
2024年7月30日、京都を拠点に活動するアイドルきのホ。が3rdアルバム「都スカイハイ」をリリースしました。みなさんもう聴きましたか?僕は聴きました。
きのホ。さんは今年で活動3年目ですが、3年目でアルバム3枚目ということは年1枚ペースでアルバムをリリースしているということ。
京都を拠点に全国を駆け巡りライブの本数もめちゃめちゃ多いのにこんなにコンスタントにフルアルバムをリリースしているのは最近のアイドルさんの活動の中では結構珍しいと思っています。
僕が初めてきのホ。を見た2022年の夏の時点ではまだ「ブリリアント帰り道」までしか出ておらず、限られた手札でライブをやりくりしているグループという印象があったのですが、翌年の2023年は”音楽劇”ワンマンツアー「いまゾーンB、そっちは?」と足並みを揃えるように2ndアルバム「リビングデッド」をリリース。それまでのワチャついたイメージを払拭するようなハードでストロングなスタイルのきのホ。を打ち出しました。
正直2023年(特に後半)のきのホ。さんを見ていると「オーバーワークで潰れてしまうのでは??」という心配するほどだったのですが、年が開けた今年は今年で春に京都KBSホールで「ホ。フェス」をやったり、祇園甲部歌舞練場や京都市役所前広場で「京都爛漫会」をやったり、夏には「KIF」という”あからさまな意図”を感じる単独イベントを仕掛けてみたり、より地元京都に腰を据えながら規模を拡大させていくという独自路線を突き進んだかと思ったら、バンドセットツアーをやったり、まだ行ったことない地域をまわるツアーも発表してみたり…。
去年の活動は気合と根性でやり切るモードから今年のきのホ。はもはやその先の境地へ向かっている感じすらします。
そんな中でリリースされた(一体いつ制作する時間があったんだ?)のが3rdアルバム「都スカイハイ」。楽曲単体の個性の強さ、前アルバムからアップグレードされたメンバーの歌唱力がビシビシと伝わってくることに加えて非常にコンセプチュアルなアルバムに仕上がっていたことに度肝を抜かされました。
そもそも「コンセプトアルバム」ってなんだ
と、ここで 「コンセプトアルバム」ってなんだ?という話を書こうと思うのですが、昭和生まれのおじさんにとってはアルバムと言ったらそれはコンセプトアルバムのことなのですが、最近手にするアルバムの多くは既発の配信リリース曲を1枚にまとめたシングルベストやコンピレーション的なアルバムが多く、「時代が変わったなー」と懐古ってしまいます。
「コンセプトアルバム」というのは、アルバム1枚の中にその時点での作り手の立ち位置や考え、方向性やメッセージが詰め込まれたタイトルで、アルバムそれ自体が独立した作品性を纏っているものという風に理解しています。
収録曲はだいたい10曲前後なことが多いですが、その中には直近のシングル曲以外にアルバムが初出しになる新曲もふんだんに織り込まれ、リスナーである我々はアルバムを聴きながらアーティストの姿に思いを馳せ、アーティストはアルバム収録曲をたくさんの人に聴いてもらうためにツアーで全国を周るというルーティーンを半年〜1年に一度ぐらいのペースで楽しむ、というのが日常でした。
ただ、それは音楽業界自体がとっても豊かだった頃の話で、時間とお金をかけてある程度まとまった曲数を制作するだけの経済的な余裕があったり、それらを収録するのに向いているCDという媒体がリスニングの主流だったからできたことで、音楽の聴取が単曲(短時間)リスニングが当たり前になったSNSやサブスクへと移り変わり、作ったらすぐにリリース〜ネットでバズを取るのが最適なマーケティングな現代には「コンセプトアルバム」を作るのが難しい(というかそもそも合ってない)という気がしています。
そんな非合理極まりないはずのコンセプトアルバムを創り上げたのがきのホ。と「都スカイハイ」でした。それを一番強く感じたのは、先述したアルバムの”独立した作品性を纏っている”という点で、アルバムリリースに先行して披露されていた「馬鹿と煙」「クラベチャウ」「シンドローム」もライブで見ていた時の印象は…
「きのホ。っぽくはあるけどどれもクセが強い曲だなぁ」
と思っていました。ところが「都スカイハイ」でそれらの曲を聴いてみると、最初からこの位置に置かれるために作られたとしか思えないくらいの収まりの良さ。それぞれの曲が自分の家や部屋を見つけたような印象さえ受けました。
そういえばきのホ。のPの新井ポテトさんがtwitterでアルバムの曲順をめっちゃ悩んでいるとツイートしていたのを思い出したりもして、ポテトさんの産みの苦しみはこういう形で結実したんだなぁと思いました。
1stアルバムみたいな情熱と衝動とやりたいことを詰め込んだ3rdアルバム
もう一つコンセプトアルバムの特徴として例を挙げた「作り手の現在の立ち位置、方向性、メッセージ」についてですが、ここまでリリースされたきのホ。さんのアルバム3作(デビュー作の「きのうまではポジティブでした!」を入れると4作)を聴き返していると、きのホ。さんはアルバムのリリースごとに自らをアップデートさせている、もしくは新しいきのホ。が生まれ出ているような気がしています。
昆虫で言うところの蛹の中から成虫がメキメキッと出てくる…みたいな。いつもと同じきのホ。のはずなのにちょっと雰囲気も変わっている…みたいな。
特にそれを強く感じたの前作の「リビングデッド」のリリースの時だったのですが、以前と違う雰囲気を放っているきのホ。がライブを重ねていくごとにそれが新しいきのホ。になっている…みたいな印象がありました。「リビングデッド」の時にはきのホ。の置かれた境遇的にも「負けちゃいけない」「強くならなきゃいけない」時期だったと思うので、その意志や姿勢がアルバムにも色濃く反映されていたと思うのですが、今作「都スカイハイ」はきのホ。さんの不退転の意思というか自分たちで切り開いた道を全力邁進する姿が浮かんできました。
普通であれば3rdアルバムともなると(ミュージシャンやアイドルを問わず)、楽曲自体も角が取れた感じやこなれた雰囲気が出てくるのが一般的なのですが、そういう予想を完全に裏切ってきたのがこの「都スカイハイ」。
これは個人的なアルバムに対する印象なのですが、アルバムというのは一曲目に「今回の作品はこれですよ!」という作り手の意思が最も色濃く出ると思っていて、その意味で「麗しのタンバリン」のガツガツというかゴツゴツしたイントロのギターリフは「うっかりぶつかったらケガはするかもしれない」というぐらいの刺々しさを感じました。こういう1曲目でご挨拶的にガツンとかまします系の曲ってだいたい1stアルバムでやるのが普通だと思うんですが、それが3rdアルバムでやってきたというのがまず新鮮な驚きでした。
その他の収録曲も、先に書いた3曲(「馬鹿と煙」「クラベチャウ」「シンドローム」)の強烈な個性すらも凌駕するくらいに色濃い楽曲が並んでいて、今のポテトさんとハンサムケンヤさんがやりたいこと、今のきのホ。がやるべきことを詰め込みまくった印象がありました。収録曲の振り幅という点では3作のアルバムの中では一番の広さなんじゃないかと思います。
またアルバムのリリースごとに新しいきのホ。が生まれる…みたいなことも書きましたが、「グッドサイン」のような勢い全振りな曲は僕が初めてきのホ。さんのライブを見た時の印象そのままで、「やっぱりきのホ。はきのホ。」な部分がしっかり収められているのもこのアルバムが好きになれるところです。
また、その一方でさらに出色だったのがメンバーさんたちのボーカルワーク。こはるさんを筆頭に明らかに歌に力を入れているメンバーさんの活躍が特に見られたここ最近のきのホ。さんでしたが、このアルバムの楽曲においてはPのお二人が求めるもの、自分たちで歌で表現したいことをかなり高い確度で体現できるレベルになったんじゃないかと思います。
アイドルの歌についてはボーカルの不安定さこそが最大の魅力になっていることも少なからずありますが、初期のきのホ。さんでは「都スカイハイ」のような歌詞にしたためられた複雑な心境をシリアスに、ポップに、エモーショナルに、それでいて決して後ろ向きにならい歌唱で表現することはできなかったと思います。
最後にこの章のタイトルに戻りますが、きのホ。さんの「都スカイハイ」は1stアルバムでしか味わえないような情熱、衝動、ポテンシャル、そして野心すらもにじませてくるアルバムでした。それを3rdアルバムで過去一強く打ち出しているというのもかなりレアですし、きのホ。さんの入り口としてもこの「都スカイハイ」は最適なアルバムだと思いました。
とりあえず早くライブでアルバム収録曲を聴きたいので早くきのホ。のライブに行きたいです。最近は以前のようにいつでも東京でライブをしているきのホ。さんではなくなったので一回のライブを見逃すと大変です。
なんとかしてくださいポテトさん。