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アイドル第四編集室

「マツコの知らない世界」出たいと思ってます。

TBSの「マツコの知らない世界」に出たいと思っています。

このことは、ごく親しい友人や仕事絡みの方には冗談めかして話していたことですが、それ以外ではほとんど口にしてきませんでした。もしかしたらアイドル第四会議室で一回くらい話したかもですがそのレベルです。

2年くらい前のことだったと思います。旧知の友人にこんな相談をしたことがありました。

「こんなに面白いアイドルシーンが広まらないのが悔しい。世の人に知ってもらうにはどうしたらいいか考えてるんだけど、自分が有名になる(影響力を持つ)ことが一番早いんじゃないかと思ってる」

するとその友人からすぐに「だったら「マツコの知らない世界」に出るのを目標にしろ」という答えが返ってきました。

かなり乱暴なやり取りですが10年来の友人で僕のやってることも重々承知している彼でしたので、僕が抱えた課題に対するシンプルかつ最短距離なアドバイスがそれだったんだと思います。

ただ、テレビ業界になんの繋がりもなく、その時点でテレビを見ることが日常のルーティーンから外れて20年以上が経っていた自分にとって、番組名自体は知っていても一度も見たことがない「マツコの知らない世界」への出演を目標するのは現実味が感じられない話でもありました。

しかもただのテレビ番組ではなく、相手はあのマツコ・デラックスさんです。彼女が幅広いジャンルに精通しているのは知っていますし、かつて「5時に夢中!」の中でたまたまローカルなアイドルの話題になった際に、軽率な発言をしてしまったMCのふかわりょうさんに「新潟にはNegiccoがいるだろうが!」と叱責していた光景は今でも覚えています。

そんなアイドルに対しても一家言あるマツコさんにどんな話ができるのか?そこまでアイドルのことを分かってる自分なのか?という気後れもありましたし、一度「『マツコの知らない世界』に出る!」と言った以上、中途半端にできない覚悟も求められることに正直ビビっていたところもありました。

ただ、それでもその友人のアドバイスが自分の中に腹落ちするところがあったのも事実で、それ以降のアイドル第四会議室ではより持論を語るようになりましたし、twitterのアカウント名に「【1年で200本のライブと500組のアイドルを見る人】」という肩書きを追加したのも、トークイベントに本腰を入れて人前で喋る機会を増やしていったのも、やたらと髪型をモヒカンにするようになったのもその後のことで、中途半端ながらに自分を売る、自分を前に立たせる試行錯誤を重ねていました。

それらのトライアンドエラーに多少なりとも手応えを感じたんでしょうか、それとも寄る年波とともに訪れる羞恥心の欠如のせいなのでしょうか。そのへんはよく分かりませんが、ここに至ってようやく「なんか今が言うタイミングなんじゃないか」「言った方が面白いんじゃないか」と思えるようになったのでこんな形で発表してみた次第です。

果たしてこの目標がいつ達成されるかは分かりませんが、いつしかやってきたその暁には、マツコさんにその時のアイドルシーンの魅力やその時に一番注目すべきアイドルについて大プレゼンをしてきたいと思っています。

みなさま応援よろしくお願いいたします。

ひでっきーなりのアイドルクロニクル

(2025/02/07追記更新)
前回「「マツコの知らない世界」に出たい」という↑の文章をあげたところ思いがけないくらい色々なところから励ましや応援をいただきました。ありがとうございます。

また、その応援の中には番組出演に向けた具体的なアドバイスやタスクもいくつかあったので、着手できそうなものをこの記事に追加する形で随時アップデートしていきたいと思います。

そんなたくさんのアドバイスの中で僕が「確かに」と思ったものの一つに「番組にとって使いやすい(と思われる)ネタを持て」というものがありましたした。「番組に出ることを目標にするのではなく、番組にとってメリットのある人であれ」というアドバイスももらったのですが、それもほぼ同じ意味だと思います。

そのネタとして提案されたのが「アイドルシーンを俯瞰的に見える何か」、つまり僕がアイドルのことをよく分からない人にとって説明書的な解説ができる人であれば、それは番組としても使いやすい人であるはずだろう、という訳です。

では、アイドルシーンを俯瞰できる何かとはなんだろう?と思案していたら「例えばこういうことだよ」ともらった追加のアイデアが「アイドルシーンの系譜を語る年代記(クロニクル)的なもの」とのことでした。(一切自分で考えてなくてウケるw)

僕が最初にハマったアイドルは古くおニャン子クラブまで遡りますが、当時は僕も子どもだったのでさすがにその頃からは歴史を紐解くことは難しい。でも、ライフワーク的にアイドルを追いかけるようになった2010年前後〜「アイドル戦国時代」以降の年代記であればまとめられそうな気がしました。しかも、その15年余の歴史はそれまでのアイドルの意味や概念を覆し続け、拡大させ続ける歴史でもありましたし、2025年現在にもつながっている系譜だと思います。

仮に番組出演が叶わなかったとしても、現代アイドルの歴史に関するガイドラインの一つを例示することは一定の価値がある気がしたので、「言われたからやってみよ」的なノリで取り組んでみることにしました。

その年代記をまとめる目安として、まず初めに(僕が思う)アイドルの2010年以降の潮流を以下の5つのフェーズに分けてみました。「(僕が思う)」と前置きを入れたのは、僕自身が追いかけてきたのは「ライブアイドル」と呼ばれるライブをすることを活動の軸足に置いたアイドルが活躍するシーンだったため、その視点で見た歴史のフェーズ分けであることをあらかじめご理解ください。

  • 第5期:コロナ明け「リセットからの再構築」(2022〜)
  • 第4期:コロナ禍期「残酷すぎるサバイバル」(2020〜2022)
  • 第3期:アイドル衰退期「完成と限界」(2017〜2019)
  • 第2期:アイドル戦国時代期「ヒト・モノ・カネの大流入」(2012〜2017)
  • 第1期:ライブアイドル革命元年「BiSの登場」(2011)
  • 第0期:革命前夜「AKB48&握手会商法の超成功」(2008〜2010)

はい。上記のように僕の歴史観でいうと2025年現在のアイドルシーンは「第5期(を経て第6期への移り変わり)」を迎えていると思います。お笑い業界的な言い回しにすると第5世代という感じでしょうか。そして、その少し前に革命の条件が色々と整っていく第0期があった、という認識です。この5つのフェーズ+1をこれから振り返っていくのでみなさんよろしくお願いいたします。

第0期:革命前夜「AKB48&握手会商法の超成功」

世界史でも日本史でもそうですが、ある革命的出来事が起こる少し前にそれが起こりやすくなる社会や環境の変化、機運の盛り上がり、というのがあると思っています。

今回まとめる2010年代以降の年代記、特にその前半に勃興する「アイドル戦国時代」にもその少し前にアイドルシーンの構造、しいては音楽エンタメの構造自体を大きく変える出来事がありました。それがAKB48と握手会商法の超成功です。

CDの特典として行われる握手会、そしてそれと一緒に付いてくる投票券が次のシングルのセンターとなるメンバーを決めるための選挙に使用され、その開票の様子は地上波のテレビで生中継されるほどの過熱ぶりを極めました。その過程であったアレコレについてはこのアイドル年代記の主題ではないので割愛しますが(興味が湧いたら調べてください)、AKB48の絶頂期を加速させた理由に握手会商法と総選挙という「システム」があったことは間違いないありません。

そんなAKB48の人気と握手会商法というシステムが世間一般に認知されていく中で、ある時誰かがこんなことを思いつきました。

「これって俺でもできるんじゃね?」

アイドルのCDリリースとリリース記念のイベント(←主にCDショップなどで行われるミニライブ)に握手会がセットになる、このシステム自体はAKB48以前から存在していました(アイドル以外でも)。

なので業界の中では誰もが知ってるシステムだったはずですが、それがやりようによってはとんでもないポテンシャルを秘めていることが、社会の隅々まで知れ渡ることになりました。そしてまたある時誰かがこんなことを思いつきました。

「これって俺でもできるんじゃね?」

その通りこの握手会商法というシステムは非常に模倣しやすく、かつ非常に現金化がしやすい「手間暇をかけずにマネタイズができるシステム」でした。後にアイドルとファンの交流は握手からチェキ撮影に置き換えられますが、システムのシンプルさと模倣のしやすさは変わっていません。むしろ「チェキ」という実物が残ることで思い出としての価値は以前よりも高まったのかもしれません。

「これって俺でもできるんじゃね?」

それを感じ取った先見の明がある誰かはAKB48の握手会商法を知ってすぐに動き出したかもしれませんし、もしかしたら握手会のポテンシャルをいち早く見切っていた誰かがそれをAKB48の関係者に吹き込んだ可能性すらあります。いずれにしてもAKB48の握手会商法の超成功は、多くの人にとってアイドルシーンへの参入に強い関心を抱かせるきっかけとなりました。

これがアイドル戦国時代が始まる前のアイドルシーンで起きていた環境の変化と機運の盛り上がりです。

 

第1期:ライブアイドル革命元年「BiSの登場」(2011)

(2025/2/10追記更新)
2010年以降のアイドルの歴史をまとめる「ひでっきーのアイドルクロニクル」。前回の第0期の解説ではアイドルシーン内での社会的変化と機運の高まりについて解説しましたが、ここからが本編「ライブアイドル革命」についてまとめていきます。

歴史上、革命と呼ばれる出来事の多くにはそれが起こるきっかけとなる事件が存在します。フランス革命における「バスチーユ監獄襲撃」とか、第一次世界大戦における「サラエボ事件」とか、日本史におけるアレとか(←世界史専攻だったのでよく知らない)。今回はライブアイドル革命を引き起こす出来事「BiSの中野heavy sick zeroワンマン(BiS中野ヘビーシック事件)」について解説します。

今回の歴史解説では、話を分かりやすくするために「2010年以降」という括りにはしていますが、今回の”事件”が起きたのは2011年4月24日。すなわちライブアイドル革命の起点も2011年4月24日となります。

そしてその日を遡ること約1ヶ月前の3月11日、当時日本にいた人にとって忘れることが難しい天災、東日本大震災が起こりました。後のコロナ禍とは別種でありながらそれと同等か上回るほどの機能停止状態に陥った日本国内は全国的な自粛ムードが支配し、音楽エンタメも予定されていたライブが次々取りやめになっていきました。

その自粛ムードもまだまだ尾を引いていた4月24日(日)、中野heavy sick zeroというライブハウスであるアイドルのワンマンライブが開催されます。それがBiSのワンマンライブ「God Save The BiS」です(セックス・ピストルズの「God Save The Queen」のパロディですね)。

この時期にイベントを開催すること自体、それ相応な判断が必要だったはずですが、それと同時にその当時はアイドルシーンだけでなく日本全体からエンタメが枯渇していました。そんな最中でのライブの開催だったことが、イベントを探し求め流浪の民と化していたアイドルファンにとっては砂漠の中のオアシスとなり、あちこちの界隈からアイドルファンが集結し、このワンマンの伝説化を担うことになります。そして、その人たちの多くがその後のBiSの活動とは切っても切り離せない存在である「研究員」となっていきます。

なんの奇縁か僕もその場に居合わせることになったのですが、その日ヘビーシックで見た出来事を軽くまとめようと思います。

まずライブ開始後の最初の曲が「すげー長いな」と思っていました。ワンマン開催を前にリリースされていたBiSの1stアルバム「Brand-new Society」の中の曲であることは分かっていたのですが、その頃はまだ曲と曲名がすぐにリンクするほどではなかったので「とにかく長い」と思っていたですが、途中で「あれ?これ同じ曲やってね?」と気がつきます。そう。これが後のBiSのお家芸?にもなっていく「nerve3連発」誕生の瞬間です。

同じ曲をなんの断りもなく連続して繰り返すライブを当時の僕は見たことがありませんでした。しかもそんな異常事態に一切疑う様子もなく熱狂し続けているファンの姿を目の前にして「なんだこれは!?」と岡本太郎級の驚愕を覚えました。

さらにライブ半ばの「パプリカ」という曲では男性ファンの2人がステージに上がって長時間ディープキスをし続けました。

この「パプリカ」という曲はMVの中でBiSメンバーの2人がディープキスをするシーンが元ネタとして存在するのですが、オマージュにしては度が過ぎている男性2人(しかもおじさん同士)のキスシーンを見続けなければいけない時間が延々と続きます。たぶん同じ時間BiSのメンバーたちも「パプリカ」を歌い踊っていたはず。なんならMVの再現としてメンバー同士のキスシーンもあったんじゃないかと思うのですが、2025年となった現在も脳裏に浮かぶのはおじさん2人のキスシーンのみです。

「見てはいけないものを見た。来てはいけない場所に来た。」

とその場にいることをただただ後悔していました。

そんな惨状ともいうべきBiSのワンマンもようやく終わりを迎えるのですが、アンコールの最終曲を前にリーダーのプー・ルイさんが次のように言い放ちました。

「私たち、1stアルバムリリースしたばかりで曲が少ないからもう一回同じ曲をやります!nerve!!」

そんな乱暴な曲振りを聞いたのも初めてでしたが、最後にやった「nerve」ではお客さんが次々にステージ上がり続け、もはやライブを見ているのかただの暴動を目の当たりにしてるのかが分からないほどの大混乱のまま終わることになります。

この後、僕は10年以上アイドルを追い続けることになるのですが、ここまでひどいライブにはいまだに遭遇していません

そんな前代未聞なワンマンを終えたBiSはその後の活動でも前代未聞を繰り返すことになります。その事件の数々と詳細については今も多くの情報が残されているのでその紹介はここでは割愛しますが、この中野heavy sick zeroでのワンマンがBiSというアイドルの運命とアイデンティティを決定させたのは間違いありません。

そしてこの2011年の「BiSの登場」がそれまであったアイドルに対する固定観念を徹底的に破壊し、アイドルの可能性を無限に押し広げることになりました。

そしてアイドルシーンはこの先、本格的な革命期へとなだれ込んでいくことになります。

「次回、第2期:アイドル戦国時代期「ヒト・モノ・カネの大流入」(2012〜2017)へ続く」

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