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Faint⋆Star 1stアルバム「PL4E」インタビュー

2015年7月7日に1stアルバム「PL4E」をリリースするFaint⋆Star。デビューから1年、Tomato n’ Pineの散開を経てFaint⋆Starとして活動を再開したHINAはどんな思いを抱いていたのか。数々のキャリアを持つスタッフとメンバーに囲まれた中に飛び込んでいったYURIAにとってのFaint⋆Starでの1年とは?それぞれの想いを深堀りする単独インタビューを実施しました。(photo by 山田秀樹)

 

Tomato n’ PineのHINAからFaint⋆StarのHINAへ。「散開」前後の想いを語る

「PL4E」についてtwitterで「やりたいことがぎゅっと詰まった」とつぶやいてたのが気になったんですが、その真意は?

HINAトマパイの頃から音楽がすごく好きだったんですけど、散開(2012年12月29日)してしまって音楽ができなくなった時期があるじゃないですか。

それってどれくらいの期間だったんですか。

HINA一年ですね。その間に舞台のお仕事をしてたりしたんですけど、音楽をやってないと何をやってても心にぽっかり穴が空いてた感じがしてたんです。それがFaint⋆Starになって今回アルバムを出せるってことになって。トマパイでも色んなジャンルの曲を歌ってたんですけどそれがもっと幅広くなって、渋谷系だったり、EDM、バラード、ポップスが全部詰まってるのでぎゅっと詰め込めたなって思ったんですよ。

で、そのアルバムタイトルが「PL4E」と。たぶんたくさん聞かれると思うんですが、最初にこのタイトルを聞いた時の印象を教えてもらえますか。

HINA来たな!って思いました。見た瞬間に「PS4U」(Tomato n’ Pineラストアルバム)の延長線なんだろうなって思って。でも最初の「P」が「Pop」じゃなかった(「PL4E」は”Play List for Earth”の意)ので、やっぱりトマパイの時とは違うんだなって思いましたね。世界の人に向けて今ライブを行かせていただいてパフォーマンスを見てもらえる環境にいるので、日本だけじゃなく世界の人に聴いてもらいたい気持ちを強く感じました。

“Play List for Earth”ってずいぶんスケールが大きいなと思ったんですが世界に向けてっていう意識はあったんですね。

HINAでも「PL4E」になるよって話を聞いたのがインドネシアにいた時だったんですよ。インドネシアで気持ちもすごく大きくなってたので「(世界に)行けるかも!」みたいにすごくテンションが上がりましたね。

雑誌「MARQUEE」のインタビューも読ませてもらったんですが、一曲目に収録されてる…これはなんて発音すれば?

HINA「Hurly-Burly(ハリーバリー)」ですね。

この曲がトマパイの時にレコーディングされてた曲と言うことですが、もう一度歌うことになった時の心境は?

HINA最初にデモが送られてきた時に「Yellow」って仮タイトルだったんですけど聴いた時に「あれ?」って思ったんですよ。HINAはその曲のアレンジも歌詞も違うバージョンをトマパイの時に録っていたのですごく嬉しかったですね。歌詞を見た時に”自分のことを表してる”って思っちゃうぐらいに感情が入っちゃって。歌詞の中に”シーズン2の開演の合図”とか”さぁ お目覚めの合図”って入っていて。トマパイは散開しちゃったけど、その時代って自分の経験にもなったし大きくなれた場所だと思うんですよ。それをまたFaint⋆Starで始めるぞって気持ちが込められてるので、そこの歌詞の部分が一番好きですね。

Faint⋆Starを一年間やってきたHINAちゃんにとってトマパイは今どれくらいの存在なんでしょうか。

HINA今の私にとっては50%ぐらいだと思います。Faint⋆Starを始めた当初はまだ100%トマパイでしたけど、トマパイでは足らなかった部分とか、今はもっと自分がこうしたいって言うのが溢れてきてるので100から50になりました。で、これから残りの50%をFaint⋆Starで作っていきたいです。

僕がトマパイを知ったのは本当に最期の頃で、散開前後のトマパイがどういう状況にあったのが分かってないので、その頃HINAちゃんがどんな事を思っていたかを聞かせて欲しいんですが。

HINA「散開するのを聞いて」ってことですか?

はい。散開が残念だったのはもちろんなんですけど、ふん切りがついていないって言う人たちもまだいるんじゃないかな?と思っていて。

HINA私は(散開について)そうなっちゃうのかな?って言う空気を感じてて。でも、アルバムも出すこともできてライブもたくさんあったのでそれを目標にしてたんですよ。「どうなるのかな?」と言う不安の中でもこれをやり切らないと上にいけないって気持ちをずっと持っていて。で、最初に”散開するよ”って話を聞いた時は「ファンの人になんて言おう」って気持ちが強かったですね。自分がどうって言うよりもみんな期待してくれてるのに、楽曲とかも褒めてくれて…。

たしかに「PS4U」が出て、ザワッとした感じはありましたよね。

HINAアルバムを出してから知ってくださる人が多くなって「いけるのかな?」って思ったぐらいだったんですけど、散開の話を聞いた時は「ファンの人になんて言ったらいいのかな?」ってまず思いました。

トマパイが散開してから”Faint⋆Starをやります”ってなった時はどんなことを思いました?

HINAトマパイが終わる直前に音楽を続けたいか続けたくないかを話をした時に、私は”続けたい”とずっと言ってて。”じゃあもっと頑張ろうね”って言う話をして、それから自分でスタジオに入ったり、歌の練習をしながら時々玉井さん(玉井健二:agehasprings代表。Tomato n’ Pine/Faint⋆Starプロデューサー)とかにチェックしてもらったりとか。そういうことをずっとしていたら「Faint⋆Starってユニットをやるよ」って言われたんですよ。自分的にはすごく早く感じました。一年間って長いはずなのに2ヶ月ぐらいの気持ちだったんですよ。「(相手は)どんなの子なのかな?」「曲はどんな感じなのかな?」って期待に溢れてました。

“音楽をやりたい”って言ってるHINAちゃんを見ながらどうすればいいかを玉井さんも考えていたのかもしれないですね。

HINAですかね?でも”やりたい”って気持ちはすごく出てた時期だと思うんで、変な話ですけどトマパイの時よりもあの一年間は自分の中で燃えてた時期だったと思います。時間もあるし、好きな音楽も聴けるし…自分を磨いてた時期だったと思います。

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