IDOL CROSSING

「マツコの知らない世界」出たいと思ってます。

TBSの「マツコの知らない世界」に出たいと思っています。

このことは、ごく親しい友人や仕事絡みの方には冗談めかして話していたことですが、それ以外ではほとんど口にしてきませんでした。もしかしたらアイドル第四会議室で一回くらい話したかもですがそのレベルです。

2年くらい前のことだったと思います。旧知の友人にこんな相談をしたことがありました。

「こんなに面白いアイドルシーンが広まらないのが悔しい。世の人に知ってもらうにはどうしたらいいか考えてるんだけど、自分が有名になる(影響力を持つ)ことが一番早いんじゃないかと思ってる」

するとその友人からすぐに「だったら「マツコの知らない世界」に出るのを目標にしろ」という答えが返ってきました。

かなり乱暴なやり取りですが10年来の友人で僕のやってることも重々承知している彼でしたので、僕が抱えた課題に対するシンプルかつ最短距離なアドバイスがそれだったんだと思います。

ただ、テレビ業界になんの繋がりもなく、その時点でテレビを見ることが日常のルーティーンから外れて20年以上が経っていた自分にとって、番組名自体は知っていても一度も見たことがない「マツコの知らない世界」への出演を目標するのは現実味が感じられない話でもありました。

しかもただのテレビ番組ではなく、相手はあのマツコ・デラックスさんです。彼女が幅広いジャンルに精通しているのは知っていますし、かつて「5時に夢中!」の中でたまたまローカルなアイドルの話題になった際に、軽率な発言をしてしまったMCのふかわりょうさんに「新潟にはNegiccoがいるだろうが!」と叱責していた光景は今でも覚えています。

そんなアイドルに対しても一家言あるマツコさんにどんな話ができるのか?そこまでアイドルのことを分かってる自分なのか?という気後れもありましたし、一度「『マツコの知らない世界』に出る!」と言った以上、中途半端にできない覚悟も求められることに正直ビビっていたところもありました。

ただ、それでもその友人のアドバイスが自分の中に腹落ちするところがあったのも事実で、それ以降のアイドル第四会議室ではより持論を語るようになりましたし、twitterのアカウント名に「【1年で200本のライブと500組のアイドルを見る人】」という肩書きを追加したのも、トークイベントに本腰を入れて人前で喋る機会を増やしていったのも、やたらと髪型をモヒカンにするようになったのもその後のことで、中途半端ながらに自分を売る、自分を前に立たせる試行錯誤を重ねていました。

それらのトライアンドエラーに多少なりとも手応えを感じたんでしょうか、それとも寄る年波とともに訪れる羞恥心の欠如のせいなのでしょうか。そのへんはよく分かりませんが、ここに至ってようやく「なんか今が言うタイミングなんじゃないか」「言った方が面白いんじゃないか」と思えるようになったのでこんな形で発表してみた次第です。

果たしてこの目標がいつ達成されるかは分かりませんが、いつしかやってきたその暁には、マツコさんにその時のアイドルシーンの魅力やその時に一番注目すべきアイドルについて大プレゼンをしてきたいと思っています。

みなさま応援よろしくお願いいたします。

ひでっきーの「ライブアイドル革命史」

前回「「マツコの知らない世界」に出たい」という↑の文章をあげたところ思いがけないくらい色々なところから励ましや応援をいただきました。ありがとうございます。

また、その応援の中には番組出演に向けた具体的なアドバイスやタスクもいくつかあったので、着手できそうなものをこの記事に追加する形で随時アップデートしていきたいと思います。

そんなたくさんのアドバイスの中で僕が「確かに」と思ったものの一つに「番組にとって使いやすい(と思われる)ネタを持て」というものがありましたした。「番組に出ることを目標にするのではなく、番組にとってメリットのある人であれ」というアドバイスももらったのですが、それもほぼ同じ意味だと思います。

そのネタとして提案されたのが「アイドルシーンを俯瞰的に見える何か」、つまり僕がアイドルのことをよく分からない人にとって説明書的な解説ができる人であれば、それは番組としても使いやすい人であるはずだろう、という訳です。

では、アイドルシーンを俯瞰できる何かとはなんだろう?と思案していたら「例えばこういうことだよ」ともらった追加のアイデアが「アイドルシーンの系譜を語る年代記(クロニクル)的なもの」とのことでした。(一切自分で考えてなくてウケるw)

僕が最初にハマったアイドルは古くおニャン子クラブまで遡りますが、当時は僕も子どもだったのでさすがにその頃からは歴史を紐解くことは難しい。でも、ライフワーク的にアイドルを追いかけるようになった2010年前後〜「アイドル戦国時代」以降の年代記であればまとめられそうな気がしました。しかも、その15年余の歴史はそれまでのアイドルの意味や概念を覆し続け、拡大させ続ける歴史でもありましたし、2025年現在にもつながっている系譜だと思います。

仮に番組出演が叶わなかったとしても、現代アイドルの歴史に関するガイドラインの一つを例示することは一定の価値がある気がしたので、「言われたからやってみよ」的なノリで取り組んでみることにしました。

その年代記をまとめる目安として、まず初めに(僕が思う)アイドルの2010年以降の潮流を以下の5つのフェーズに分けてみました。「(僕が思う)」と前置きを入れたのは、僕自身が追いかけてきたのは「ライブアイドル」と呼ばれるライブをすることを活動の軸足に置いたアイドルが活躍するシーンだったため、その視点で見た歴史のフェーズ分けであることをあらかじめご理解ください。

  • 第5期:コロナ明け「リセットからの再構築」(2022〜)
  • 第4期:コロナ禍期「残酷すぎるサバイバル」(2020〜2022)
  • 第3期:アイドル戦国時代の「絶頂と終焉」(2017〜2019)
  • 【番外編】「地下アイドル」「ライブアイドル」ってなに?
  • 第2期:ヒト・モノ・カネの大流入「アイドル戦国時代期」(2012〜2017)
  • 第1期:ライブアイドル革命元年「BiSの登場」(2011)
  • 第0期:革命前夜「AKB48&握手会商法の超成功」(2008〜2010)

はい。上記のように僕の歴史観でいうと2025年現在のアイドルシーンは「第5期(を経て第6期への移り変わり)」を迎えていると思います。お笑い業界的な言い回しにすると第5世代という感じでしょうか。そして、その少し前に革命の条件が色々と整っていく第0期があった、という認識です。この5つのフェーズ+1をこれから振り返っていくのでみなさんよろしくお願いいたします。

第0期:革命前夜「AKB48&握手会商法の超成功」

世界史でも日本史でも、革命的な出来事の直前には、社会や環境の変化、機運の高まりがあるものです。

今回まとめる2010年代以降のアイドル年代記、特に前半に起こる「アイドル戦国時代」の前にも、大きな構造変化がありました。それが、AKB48と握手会商法の超成功です。

CD購入特典としての握手会、そして同時に配布される投票券。これを使って次のシングルのセンターを決める「総選挙」が行われ、その開票イベントは地上波テレビで生中継されるほどの社会現象になりました。

(握手会や総選挙についての詳細は今回の主題ではないので割愛します。興味があればぜひ調べてみてください)

ともあれ、AKB48の爆発的成功を支えたのは、握手会と総選挙という「システム」であったことは間違いありません。

そして、このシステムの存在が広く知られるようになると、ある瞬間、多くの人がこう思ったはずです。

「これって俺でもできるんじゃね?」

実際、アイドルのCDリリースに合わせたミニライブや握手会イベント自体は、AKB48以前から存在していました(アイドル以外のアーティストも同様です)。

しかし、握手会と投票券を組み合わせたこの方法が、驚異的な収益力を持つことが世の中に広まったのです。

そしてまた別の誰かも、こう思いました。

「これって俺でもできるんじゃね?」

握手会商法は、シンプルで、模倣しやすく、現金化しやすい。
その後、交流手段は握手から「チェキ撮影」に置き換わっていきますが、システムの本質は変わりませんでした。むしろ「チェキ」という形に残るものが加わったことで、ファンにとっての思い出の価値はさらに高まったと言えるでしょう。

「これって俺でもできるんじゃね?」

先見の明を持った誰かが、AKB48の成功を見てすぐ動いたのかもしれません。あるいは、握手会のポテンシャルに気付いていた誰かが、AKB48の関係者にアイデアを吹き込んだ可能性も考えられます。

いずれにしても、AKB48の握手会商法の超成功は、「自分たちでもアイドルビジネスに参入できるかもしれない」という強い関心を、業界の内外に広げていったのです。

これが、アイドル戦国時代を迎える直前、アイドルシーンに起きていた環境の変化と機運の高まりでした。

第1期:ライブアイドル革命元年「BiSの登場」(2011)

2010年以降のアイドル史をまとめる「ひでっきーのアイドルクロニクル」。前回は第0期として、シーンの変化と革命前夜の高まりを振り返りました。ここからいよいよ本編、「ライブアイドル革命史」について語っていきます。

歴史上、革命には必ずきっかけとなる事件があります。フランス革命ならバスチーユ牢獄襲撃、第一次世界大戦ならサラエボ事件、日本史にもそれに類する事件が存在します。ライブアイドル革命にも、それを引き起こす象徴的な出来事がありました。

それが 2011年4月24日、中野heavy sick zeroでのBiSの初ワンマンライブ「God Save The BiS」 です。

ちなみに、東日本大震災が発生したのは、そのわずか1か月前の3月11日。社会全体が自粛ムードに包まれ、音楽業界も多くのライブが中止になっていました。そんな中での開催だったBiSのワンマンは、エンタメに飢えていたファンたちにとって、まさに砂漠の中のオアシスとなったのです。

僕自身もその現場に居合わせることになったのですが、その日の光景を簡単に振り返ります。

まず、ライブ開始直後の1曲目。とにかく「長い」と感じました。リリース済みの1stアルバム『Brand-new idol Society』収録曲だと分かってはいましたが、「長すぎる」と思いながら聴いていたところで、ふと気づきます。

 「これ、同じ曲を繰り返してないか?」

そう、この先のBiSの名物となる「nerve3連発」誕生の瞬間です。 曲を何の断りもなく連続で演奏するライブは、それまで見たことがありませんでした。
しかも、それを疑問にも思わず熱狂する観客たち。目の前で繰り広げられる光景に、「これは一体なんだ!?」という衝撃を受けたのを覚えています。

さらに衝撃は続きます。
曲「パプリカ」では、ステージに上がった男性ファン2人が長時間ディープキスをし続けるというシーンが展開されました。MVでBiSメンバー同士がキスするシーンのオマージュとはいえ、いい年の大人同士の長いキスは、まさに「見てはいけないもの」を見せられている感覚でした。

正直、
「来てはいけない場所に来てしまった」
と後悔したのをはっきり覚えています。

しかし、そんな「惨状」も最後にはカオスへと昇華していきます。
アンコールのラスト、リーダーのプー・ルイさんが放った一言。

「私たちまだ曲が少ないので、もう一回同じ曲やります!nerve!!」

既に3回連続披露してた上に4回目の「nerve」。
曲が始まると観客たちは次々とステージになだれ込み、最後は暴動さながらの混沌の中、ライブは幕を閉じました。

この日から僕は10年以上、アイドルシーンを追い続けることになりますが、ここまで”ひどいライブ”は今なお出会っていません。

この伝説的なライブをきっかけに、BiSはその後も数々の「前代未聞」を巻き起こしますが(その詳細はまた別の機会に)、重要なのは、この2011年4月24日のワンマンが BiSというアイドルの運命を決定づけた こと。そして、アイドルの常識を根底から覆し、無限の可能性を切り開いた という事実です。

ここからアイドルシーンは、本格的な「革命期」へと突入していきます。

第2期:ヒト・モノ・カネの大流入「アイドル戦国時代期」(2012〜2017)

2010年以降のアイドルの歴史をまとめる「ひでっきーのライブアイドル革命史」。前回は、2011年4月に起きた「BiS中野ヘビーシック事件」について解説しました。
AKB48による握手会商法によって業界への参入障壁が下がり(第0期)、BiSの登場がアイドルに対する固定観念と既成概念を徹底的に打ち壊したことで(第1期)、アイドルは芸能界の専売ビジネスから「誰がやってもいい」「何をやってもいい」「しかも割とたやすく儲かる」ビジネスへと変貌を遂げました。

2011年にBiSが起こした事件をきっかけに、アイドルとそのシーンは全国規模で広がり、大量の人材流入が始まります。それは、従来の大手広告代理店やマスメディア主導の拡大とは異なる、草の根的な民衆蜂起に近い地殻変動でした。

本稿のテーマである「ライブアイドル革命史」はここから本格的な第2期に突入します。今回は、2012年以降に起きた「アイドル戦国時代」について解説していきます。

小中規模アイドルが全国に広がった「ローカルアイドルブーム」

2012年以降のアイドルシーンで起きた象徴的な現象が「ローカルアイドルブーム」です。
これは、AKB48の地方展開型グループ(SKE48、NMB48、HKT48など)とは異なり、地方に拠点を置くタレント事務所やイベント会社、さらには自治体、商業施設、商店街といった小規模な団体がアイドルグループを立ち上げ、運営を始めたムーブメントを指します。

多くの団体はアイドル運営の経験を持たず、AKB48クラスの規模には遠く及びませんでしたが、握手会商法によって生まれた「アイドル運営の雛形」が全国に広まり、”オラが街のAKB”を作ろうとするムーブメントが各地に芽生えました。

こうして誕生した「ご当地アイドル」たちは地域活性化に貢献し、一部のグループは成功を収め、さらに全国進出・メジャーデビューを果たす例も現れました。この成功が新たな挑戦者を生み、全国規模での「ローカルアイドルブーム」へと連鎖していきます。

2025年現在も各地にアイドルグループは存在し続けているその源流はこの時代にあります。

アイドル運営の変革「音楽家たちのアイドルプロデュース」

ローカルアイドルの普及と並行して、アイドルシーンには他業種からの人材流入も相次ぎました。なかでも目立ったのが音楽業界からの参入です。

アイドル楽曲も広い意味では音楽業界の一部に含まれていますが、ここで言う”音楽業界”とは、J-POPやバンド、ヒップホップ、ジャズ、ダンスミュージックといったメインストリームの中にある音楽業界のことを指しています。そうした業界の中にいる著名な音楽家が過去にアイドルに関わる例はありましたが、それはごく限られた一時的なものでした。

この断絶を打ち破ったのが、BiSです。破天荒なライブパフォーマンスだけでなく、楽曲面でも注目されたBiSは、サウンドプロデュースを担った松隈ケンタ氏(元Buzz72+のバンドマン)と、渡辺淳之介氏(後のBiSHプロデューサー)によって、従来のアイドル文脈を無視した純粋なバンド/アーティスト的アプローチで楽曲制作を行いました。

BiSが生んだ新鮮な衝撃と熱狂は、アイドルファンのみならず、バンドシーンや音楽シーンにまで伝播していきます。そして、この成功を目の当たりにした音楽業界の才能たちが次々とアイドルプロデュースへ参入し、今日のアイドルシーンの一端を形成する流れを生み出しました。

アイドルシーンへ続々流入する「ヒト・モノ・カネ」

2012年以降の人材流入は音楽業界にとどまらず、モデル、オタク文化、舞台、ファッション、映像、デザイン、広告など、音楽エンターテインメントと親和性の高い領域にも広がりました。
それまでアイドルに縁がなかった人々が、突然アイドル関連の仕事を始め、時には運営側に回ることも珍しくありませんでした。

この時期に起きた「ヒト・モノ・カネ」の流入は、
・一度挫折したクリエイターたちのセカンドチャレンジ
・若きクリエイターたちのクリエイティビティ発揮の場
としても機能し、無数の実験的アプローチが繰り返されることで、アイドルシーンはかつてない活況を呈していきます。

アイドルシーンの中で様々な人材が群雄割拠と切磋琢磨を繰り返した時代を、人々は「アイドル戦国時代」と呼びました。

多くの人がいまだに「一番面白かった」と振り返るこの時代も、やがて栄枯盛衰の波に呑まれていきます――。

【番外編】「地下アイドル」「ライブアイドル」ってなに?

ここまで「ライブアイドル革命史」の前半を解説してきましたが、アイドルシーンに詳しくない方たちにとって「そもそもライブアイドルって何よ?」という言葉のハードルがあるのではないかと思っています。

ライブアイドルはライブするアイドル。アイドルがライブをするのは当たり前だろーが!

という疑問を持つ人がいてもおかしくありません。

そこで今回は歴史の解説は一休みして本稿における重要ワード「ライブアイドル」という言葉についての解説回としたいと思います。前回までの解説、今後の解説の理解を助けるための基礎知識編としてお読みいただけたら幸いです。

尚、ここで解説する言葉の意味や定義は、あくまでこの「ライブアイドル革命史」の歴史観の中における定義(←この解説の中ではそういう意味で使っている)となりますので、厳密な意味や解釈の違いに関しては黙認できる方だけがお読みください。

「地下アイドル」とは

「ライブアイドル」という呼称が使われ始める少し前、インディペンデントな活動をしているアイドルのことは総じて「地下アイドル」という名前で呼ばれていました。

この呼称は今でも生き残っている言葉であり、実際のところ「地下アイドル」「ライブアイドル」ほぼ同義の言葉と理解して差し支えありません。違いがあるとすればそれぞれの言葉が出来上がった時代とその文化的風土ではないかと思います。

まず「地下アイドル」という言葉ですが、こちらはアイドルシーンの中では以下の2つの意味に由来すると言われています。

(1)地上波(のテレビ)には出ることができないアイドル

一般的に「アイドル」はテレビの歌番組の中で歌い踊る姿を披露する存在として知られてきました。それらの歌番組を放送するテレビの多くは「地上波」と呼ばれており、そうした「”地上波のテレビ”には出ることができないアイドル」の喩えとして「地下アイドル」という呼ばれ方をしていました。

(2)地下にあるライブハウスで活動するアイドル

また”地上アイドル”のライブをする場所が、コンサートホールや競技場など地上の設備であることが多い一方で、”地上波には出られないアイドル”の多くが活動の拠点とするのは小規模なライブハウス(収容人数100〜300ほど)で、その多くは地下にあります。

デビュー間もないアイドル、活動規模が小さいアイドルはそうした地下のライブハウスで活動することが多いため「地下で活動するアイドル」というところから「地下アイドル」と呼ばれていました。

アイドルファンの自虐性との相性の良さ

「地下アイドル」という言葉の由来は概ねこの二つの説が混在したもの、というのが通説ですが、知名度や活動規模を表現する意味でも「地上」と「地下」という分類はとても分かりやすい表現だったのですが、それが定着した理由にはアイドル文化ひいてはオタク文化特有の風土も反映されています。

アイドル文化は有史からこれまで、「マニア」「オタク」と呼ばれるこだわりと偏りが激しい偏屈な人たちの情熱によって支えられてきました。そしてそれらの文化は大っぴらにすることも憚られる”日陰な文化”として育まれ、そんな日の当たらない趣味を持つマニアやオタクの多くは、アイドルを愛でる一方で自らの趣味の”日陰さ”を慈しむ気質も持ち合わせていました。

時としてその気質は自らを卑下したり自虐する卑屈な姿勢や態度として表れ、固有の文化を形成していくことになるのですが、そんな彼らにとって自らが応援するアイドルを「地下」と称することは決して不自然なことではありませんでした。

しかも、そこには少なからず自分が好きなものに対する誇りや自負も含まれており、ファンだけでなくアイドル自らも自身の事を「地下アイドル」と称することも少なくありません。「地下アイドル」という呼称は誰が言い出したか分かりませんが、違和感なくアイドルシーンの中に受け入れられていきました。

「ライブアイドル」とは

そんな「地下アイドル」の活動はそのほとんどが日の目を見ることはなかったのですが、2011年以降のライブアイドル革命が起きて以降は状況が一変します。にわかに注目を集めた一部の地下アイドルは元来自分たちのフィールドであった「地下」には収まりきらない勢いと影響力を持ち始めます。

また、インターネット(とりわけSNS)の普及によって「地下アイドル」という言葉自体もそれまで決して届くはずのなかった人の目にも触れるようなり、「地下アイドル」という言葉が元来持っていた文化的背景とは別に、それを知らない人たちにとっての聞こえの悪さ世間体の悪さも目立つようになってきました。するとその中に…

「こんなに頑張っている、こんなに素晴らしい活動をしているアイドルたちを”地下”と評するのはけしからん!」

という人たちが出はじめます。

個人的にはアイドル文化の中でこういう言説が現れる事自体が意外でもあり、ライブアイドル革命以降のアイドルシーンが大きく変化した証左だと思うのですが、この”けしからん勢”が「地下アイドル」に変わる新しい呼称を模索し始めました。その流れの中で生み出されたのが「ライブアイドル」です。

ライブアイドルは活動実態の明確化

この「ライブアイドル」という呼称が示しているのは何より「活動実態の明確化」です。

先に解説した”地上”のアイドルの活動内容と比較すると分かりやすいのですが、彼女たちが活動するフィールドは主に芸能界で、その内容は、マスメディア(番組)への出演、グラビア活動、CMや広告出演などの多岐にわたり、ライブなどの音楽活動は数ある活動の中の一部であることが一般的です。

一方、2010年代半ばまでの地下アイドルの活動はライブハウスでのライブ活動(+特典会と称される握手会やチェキ会)がほとんどで、活動の範囲はかなり限定されていました。

そんな活動実態に則した言葉として

「ライブを主戦として活動するアイドル=ライブアイドル」

という言葉が生まれました。

この言葉が定着するにはある程度の時間がかかりましたが、2025年現在ではアイドルシーンにおいて一般化しています。特に自虐文化の歴史を経験していない近年のアイドルファンや関係者の間では「ライブアイドル」の方が通りがよい印象すらあり、”時代とともに今まさに変化していっている言葉”でもあります。

まとめると…

地下アイドル … 活動フィールドを表した言葉。2010年代前半までの言葉
ライブアイドル … 活動実態を表した言葉。2010年代半ば以降の言葉

となります。以降、本稿において「地下アイドル」「ライブアイドル」の言葉を使用した際は上記の意味を反映させた言葉として使っていきますのでご理解ください。

また、この2つの呼称をさらに進化発展させた「オルタナティブアイドル」という言葉も近年使われるようになっていますが、それはまた時代が先に進んでからの解説にしたいと思います。

第3期:アイドル戦国時代の「絶頂と終焉」(2017〜2019)

2010年代以降の日本のライブアイドル(いわゆる「地下アイドル」)の歴史を振り返る連載「ひでっきーのライブアイドル革命史」の第3弾です。
前回は2012年から始まった「アイドル戦国時代」について、全国各地でアイドルが増え、クリエイターやファン、資金がシーンに流れ込んだことで、大きな盛り上がりを見せたことを紹介しました。

その盛り上がりは2010年代半ばにピークを迎えますが、そこから数年のうちに、シーンは早くも変調を見せ始めます。
今回は、アイドル戦国時代の「絶頂」と「限界」、そして次の時代への転換点を振り返ります。

急増したアイドルイベントとフェス

前回も触れたように、アイドル戦国時代は新しい才能たちの実験場でもあり、既存のアイドル像にとらわれない多様なグループが次々に誕生しました。そうしたアイドルたちの活躍の場も急速に広がり、ライブハウスやクラブでは連日のようにアイドルイベントが行われるようになります。

さらに、夏には大型フェスも定着します。
横浜赤レンガ倉庫の「アイドル横丁夏祭り」、お台場の「TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)」、横浜アリーナの「@JAM EXPO」
これらは「夏の三大アイドルフェス」と呼ばれ、シーンの一大イベントとして盛り上がりを見せました。

中でもTIFは、全国のアイドルが集う唯一無二の規模と存在感を誇り、3日間で200組以上が出演、来場者数は9万人近くに達しました。
テレビで活躍する「地上アイドル」と、地下やローカルで活動する「ライブアイドル」が同じステージに立つという点でも、TIFは日本最大のアイドルショーケースとなりました。

「見つかる」ことができた絶頂期

この時代を象徴する言葉の一つが「見つかる」です。
地方で活動する無名のアイドルが、TIFのたった一度のパフォーマンスで全国に名前が知れ渡る。
そんなシンデレラ・ストーリーが、毎年のように現実になっていました。

「今年のTIFは◯◯が見つかった」「◯◯のステージが最高だった」

SNSには、そんな興奮と発見の報告が飛び交い、アイドルたちは次々とブレイクのチャンスを掴んでいきました。

才能ある人々が集い、個性豊かなアイドルが切磋琢磨し、活況を見た新たな挑戦者が次々に登場する──。
そんな好循環が繰り返されたこの時期こそが、「アイドル戦国時代」の絶頂期だったのです。

成功が生んだ停滞感と「初期衝動」の終わり

しかし、シーンが最盛期を迎える一方で、その成功が皮肉にも停滞を生み始めます。

個性が際立っていたはずのグループたちも、そのフォロアーが増えていくことによって「◯◯っぽい」アイドルが模倣されるようになり、新しさや驚きが減っていきました。さらに斬新な試みも影を潜め、シーンの新陳代謝は鈍化していきます。

 「盛り上がっているはずなのに、以前ほど熱くなれない」というジレンマが、徐々に広がっていきました。今にして思えば、この空気は「初期衝動からの目覚め」だったのかもしれません。

メジャーデビューの現実

そんな中でも勢いを得たライブアイドルたちのメジャーデビューが相次ぎましたが、その多くは大きな成功にはつながりませんでした。

インディーで飛ぶ鳥を落とす勢いだったグループが、メジャー移籍後に失速する──。
これは音楽シーンでは珍しいことではありませんが、ライブアイドルとメジャーレーベルの間に横たわる文化や価値観の違いは、想像以上に大きかったのです。

両者がどれだけ歩み寄ろうとも、求めるものやビジネスのルールが違いすぎた。その結果、アイドル運営とレーベルの間に「うまくいっていない」と感じられるケースが多発し、夢と現実のギャップを痛感させる出来事が続きました。

「界隈の分断」とシーンの細分化

もう一つ、戦国時代末期を象徴する現象が「界隈の分断」です。

2010年代前半はロック色の強いアイドルが注目されていましたが、後半になると、現在の主流である「キラキラ系アイドル」が台頭してきます。
音楽志向の強いロック系アイドルと、モデルやそのスカウトをする業界を源流とするキラキラ系アイドル。 両者は性質もファン層も大きく異なり、次第に出演するイベントやライブも棲み分けが進みました。

その結果、「界隈の分断」が起こり、シーンは細分化。
それぞれが自分たちの成功を追い求めるようになると、かつての一体感やカオスな熱量は徐々に失われていきました。

「あんな時代はもう来ない」

 そう振り返られるアイドル戦国時代は、こうして静かに終焉を迎えたのです。

次回は、シーンを襲った未曾有の試練──「コロナ禍」に突入したアイドルたちのサバイバルを振り返ります。

(第4期:コロナ禍期「残酷すぎるサバイバル」(2020〜2022)に続く)

第4期:コロナ禍期「残酷すぎるサバイバル」(2020〜2022)

(2025/5/8追記更新)
2010年以降のアイドル史を振り返る「ひでっきーのライブアイドル革命史」。前回はアイドル戦国時代の隆盛と終焉をまとめましたが、その後、アイドルシーンにとどめを刺すような大災厄が全世界を襲いました。

「なんか変な伝染病が広まってるらしいね」

そんな話を耳にしたのは、2019年の終わりか2020年の初めごろだったでしょうか。これまでも海外で流行する感染症のニュースは耳にしていましたが、それらはいつも遠い国の出来事。今回もまた、対岸の火事だろうと高を括っていました。

しかし、そこから始まったコロナ禍の3年間は、誰もが体験した通り、世界を大きく変えました。その影響はアイドルシーンにも、深く、そして激しく及びます。むしろ、アイドルを含むエンタメ業界は、飲食業界と並び最大の打撃を受けたと言ってもいいでしょう。

東日本大震災のときは「エンタメに何ができるか?」と模索する動きがありましたが、コロナ禍では「エンタメそのもの」が不要不急とされ、存在自体が否定される事態となりました。それも3年という長きにわたって。

感染対策のキーワードとなった「密閉・密集・密接」は、まさにライブハウスの状況そのものでした。緊急事態宣言は、ライブ活動の事実上の禁止を意味します。

アイドル戦国時代が終わり、縮小傾向にあったシーンに追い打ちをかけるかのようにコロナ禍が到来。デビュー直後や勝負の時期にあったアイドルたちは活動の場を失い、やむなく解散や休止を選ぶケースも続出。ラストライブすらまともに行えないまま、多くのグループがシーンから姿を消していきました。アイドルシーンは暗黒時代に突入します。

「声出し禁止」という過酷な制約

ライブイベントの中止が相次ぐ中、ようやく「条件付きで開催可」となった際に提示されたルール。それが、マスク着用、手指消毒、50%以下の収容人数、場内換気徹底…そして何より「声出しの禁止」でした。

アイドルライブにおける「コール」や「ミックス」と呼ばれる声援文化は、長年にわたり独自に進化してきたものであり、ライブには欠かせない存在でした。

アイドル自身の未完成さを応援することをコンテンツ化してきたライブアイドルシーンにおいて、声援は不可欠な要素です。それが禁止されたことで、「アイドルのライブとは何か?」を根本から問い直さなければならない状況に直面しました。

「声出しがなかったらアイドルのライブなんて無理じゃん」

正直、そう思いました。イベント開催が許されても、このままアイドルシーンは本当に終わってしまうのではないか?そう危惧していました。

試されたアイドルシーン、その傷と成長

そんな過酷な状況下でも、アイドルたちは立ち止まることなくサバイブしてきました。その証拠が、現在のアイドルシーンにあります。

配信ライブという新たな選択肢

「ステイホーム」「おうち時間」が叫ばれる中、最も急速に進化したのは「配信」でした。ライブハウスのいくつかは、いち早く無観客配信やオンラインイベントへと舵を切り、消えかけていたアイドルシーンの灯を繋ぎ止めました。

声援なしでも観客を満足させるパフォーマンスへ

また、「声出し禁止」の制約の中で、アイドルたちは少しずつ「声援なしでも満足度を高められるライブ」を模索し始めました。その行為は純粋なライブスキルの向上に繋がり、この時期に人気や実力を高めた「コロナサバイブ組」と呼べるアイドルたちは、声援に頼らない実力を身につけていったのです。

アイドルは消えなかった

コロナ禍の三年間。アイドルシーンは多くの犠牲を払いましたが、それでも完全に消えることはありませんでした。

「逆境であればあるほど燃え上がる」
そんなアイドルファンたちの特性とも相まって、アイドルたちはコロナ禍を生き抜きました。そしてそれはアイドルというコンテンツ自体が「どんな困難にも消えない存在」だったことも証明したのです。

「コロナ禍でアイドルは終わるかもしれない」と思っていた僕の予想は、幸いにも外れました。そして、コロナ禍を乗り越えたアイドルたちこそが、次の時代の主役となっていきます。

――続く「第5期:コロナ明け『リセットからの再構築』(2022〜)」へ。